昭和51年8月18日 月次祭 ●②x3 大坪かよこ




 今朝からの御理解、ご神訓、不浄汚れはわが心で払うこともあり、犯すこともあり、また次におかげは、おかげの有るも無きもわが心、この二つの御神訓に基づいて、しかも、お互いの心の中に潜在しておる意識、それがおかげの邪魔になり、潜在しておる意識そのものがおかげになる。もう実に微妙なものだというお話を今朝から頂きました。
不浄汚れはわが心で払うこともあり、犯すこともあり、犯すことになる時におかげは崩れるのです。払う時におかげになるのです。おかげの有るも無きも、だからわが心だと。
二つの御神訓、両方にわが心というのが入っとります。
今日午後からの研修をさせて頂きすときに、そのことをいろいろな角度から先生方が頂いております。
それを、について頂こうと思います。
これは、末永先生が発表致しておりましたが、今日の御理解を具体的に過去の御理解の中から思い出させて頂くと、親先生がまだ御修行中の時分に久富正義先生のところに、親教会からお話しに行っておった時分があった。
そういうある日、あちらのお父さんて方は信心はなかったけれども、大変実意丁寧な御方であり、まあ、そして私、まあフアンでもあったわけです。
まあ、繁男さんはまだもちの信心のしの字も無いころに、今日は椛目の大坪さんな見えとる。繁男、一辺大坪の話をきいちみれ、そりゃなかなかよか話しばしなさるぞ、あの人こそ違わんごと、甘木の親先生のごとなんなさるじゃろうち俺は思う、というて、あの繁男さんに言うたという話を、その後に繁男さんから聞きました、というように大変、ま、私に帰依をしておる。信心はなさらんけれども帰依しておられた。お母さん、それから、正義先生はその時分から大変熱心に信心を致しております。
まあ、私が、参りますというので、いろいろと牡丹餅がでけておったり、そのころなかなか入手しがたかった焼酎なんかも用意してございました。
その当時私は、断食をしておった。それでもちろん、そのおなかの虫が、ぐうぐういうごたあるその、その時分のたとえば砂糖の入った牡丹餅なんてですね、そりゃもう大変な貴重なもんですし、もちろんそこにアルコール系なんかていうものは、もう、それこそメチルでも飲もうかと言うような時代なんですから。
あの焼酎があるなんてことは、もう大したこと。で、こう是非と言われるんですけれども、まあ、こんなわけで断食しとるから、頂けん、そんなことはない、今日はもう、うち中のものが、真心込めて作っておるから、とにかく神様にお願いをして下さいち。必ずお許し頂きますが、みんなの真心だけでもお許し頂けますがと、もう強いてお父さんから勧められましてね、そいで神様にお伺いをさせて頂きましたらね、●② 伺う心は食べたい心じゃと頂きました。厳しいですね。もういよいよ食べんと決めたら、絶対私たちはお伺いもしもしませんでした。けどもお伺いをするということは、許されたら食べよというものがあるわけなんです。
だから、食べたい心は、ね、伺う心は食べたい心じゃと。それでもまあ、お伺いした手前、または、その、・・?それに、ま、応えるわけで、もちろん牡丹餅やらは頂かずに、ほりゃもうなら、頂いて帰ろうというて、それからまたいろいろお御馳走してあったものを頂いて、から、お焼酎を、まあ、何杯か頂きましたでしょう。
ところが、そのもう断食に断食を重ねておるときですから、もうそれが、もう、もうそれこそたぎるようにおなかがなってきたんです。もういわゆる酩酊してしまいました。
で、そのまま、私は神様の前に出らして頂いて、神様もう今日はもう久しぶりで酩酊のおかげを頂きましたと御挨拶をさせて頂いたときに、神様から、ね、好きな酒でも甘いものでも、ね、いうならば今日のように毎晩好きなお酒を晩酌でもさせて頂いて、今日も酩酊しました、今日も良い心持になりましたというて、日々頂けれるようになることが、神の願いじゃということを頂きました。
決して甘いものを食べちゃいけん、辛いものは飲むな、と言うのが親じゃないちゅのです。
本当はそれが有りー、無理せずに有難く頂けれるようなおかげを頂くことこそ、これは神の願いであるぞと頂いて、もう大変に感動し、感激しましたことがございます。
この話が時々出てくるんです。
そこでなら、今日の朝の御理解を頂いて、末永先生が頂きとめたところは、ね、ある人が、大変甘えたお願いをした、昨日の話なんです。いうなら虫の良いお話です。
だから取り次ぐ私がです、ね、信心しよってそげなことを願うてからというたらね、やはりもうおかげにならんです。けれども私の心では、ま、この人虫の良いことばっかり言うと思うた。●② そん時に神様から頂いたのがね、あのテレビでコマーシャルの、あの可愛らしい犬が二匹出るのがありますでしょう。ね、あの、いわゆる一つがいの犬です。で、嫁さんの方の犬がね、大きな、大きなねベッドを買いたいち言うわけです。
買ってもいいでしょうというわけです。
すとそのお父さん、主人の犬がね、もうお前にはかなわんよちゅうとこがあります。
ね、その買うてならんとは言わん。ね、それから買うてやる。そいでお前にはかなわんよと言いながらです、やはり愛妻のために買ってやることがまんざら気分が悪いことは、気分良さそうに、もうお前にはかなわんよ、と言うところがあります。
夫婦だってそうですから、親子はなおさらのことであります。
もうほんとに、もう今度ぎりよ、ち。もうそげんとはぽんぽんな痛うなるよと言うてもねだられれば、やります。やれれること自体が、親としてはうれしいのです。
ですからね、こりゃ段々育っていかなければなりませんけれども、そういう生き方、たとえば私がその正義先生ところでです、ほんとに神様にお誓いをしながら、いわば誓いを破ったことを、ただお詫びだけしておったら、そのことに対して神様は厳しく出られたでしょうね。ところがもう神様今日は、もう久しぶりで酩酊さして頂いたというとに、もう親神様の方が喜んでございます。そういうふうにしてもう、毎日か、毎日でもね、お前が頂けれる状態になることこそ神の願いであって、というて、その神様の心の中を吐露して下さる。
というてなら、あくる日もまた今日もおかあげで酩酊しましたと言よんなら、やられるに違いはないです。実力もないのに頂くのですから。
けれどもね、そういう時にです、そういういう心の状態を使う、不浄と言うことは、お道で言うことは成就しないということと言われております。
だから成就するも成就しないもです、ただ詫びるというまた、また失敗しましたというて詫びれば、あんたばっかりはと言うて、失敗したことのいわばおしかりを頂くだけであって、次のおかげにならないということです。
これも研修のときに、私、皆さんに聞いて頂いたんですけれど、当時、大阪の玉水教会と言えば名実ともに日本一の教会でございました。今でもああした御ひれいを頂いておられます。
ね、その玉水さんのことを、願いの玉水と申しました。
これもやはり東の玉水、西の甘木と、九州の甘木といわれてやはり名実ともに日本一の教会でした。初代がおられる頃は。その甘木の信心は、どこまでもお礼の信心、いわゆるお礼の甘木と言われました。願いの玉水、お礼の甘木、当時教学第一人者であられました高橋正雄という先生がおられました。数回教監もお勤めになられました。
もう東大始ってですかね、もう、こんな素晴らしい頭の良い人はないと言われるくらいに頭の切れる素晴らしいお方でした。
だからもう徹底した、いうなら徹にびんに、いわゆる徹しられた方です。
先生はどういうことかと言うともうただただ詫びて詫びて詫びぬかれた。自分自身が信心による鏡を持って映すと、もういよいよ汚い自分に気付かれた。もう食べる資格もなからなければ、着る資格もないというほどに自分を苛まれた。ね、そして、もうただお詫びに徹しられたというわけですけれども、先生のところでは、教学者はどんどん生まれたけれども、真に助かるということはなかった。
日本一の教学者ではあったけれども、日本一人が助かるという教会ではなかったというところに、私はあらためて気付かなければならんということを、今日お話ししたわけであります。ね、もう徹底したお詫びに徹しられた。そこでです、そんなら、私どもが教えを頂けば頂くほど、教えの鏡を前に立てれば立てるほど、相済まん私であり、汚れはてた自分であり、汚い愚かな自分であるということが、段々分って参りますから、そこんところから、ね、やはり詫びなければおられないのでありますけれども、詫びるということにもです、やはりおかげが伴い、人が助かるということにつながらなければ、値打ちがないということであります。そこで私は、あの、今日つらつら思わせて頂いたんですけれども、お礼の甘木、願いの玉水、お詫びの合楽、そして合楽もまた、ね、名実ともに日本一人が助かる教会に、これからならして頂かなければならんと思わせて頂いたとたんに頂きましたことがね、●②ここにあのふうづきのお花があったですがね、ふうづきのほんの根元んところだけがいっちょ赤くなっとるとにいっぱいふうづきが付いとるとです。それがまだ青くしとるところを頂きました。ね、だから、この枝にいっぱいぶら下がっとるところのあのふうづきがです、昨日はあの、これはちょうちんがついとることろを頂いたんですけれども、これが全部真っ赤に熟れたときこそが、私はお詫びによって合楽が日本一人の助かる教会になると時だと思わせて頂いた。
これが一つ一つ熟れて行かなければならん。これが真っ赤になって行かなければならない。これが一つ一つが光になって行かなければならない。沢山のこれでけております、ならお弟子さんたちがです、銘々いうならば布教に、神様の手にも足にもならせて頂いて、いうならばそこにおる出社が、そこにも出社がでけて、そこでもどんどん人が助かるようになっていくというような、私はことじゃないだろうかと思うた。
沢山青いふうづきは生っておる。まだ熟れてないと言うだけなんです。ようやく一番根元んとだけが、ぼんやり赤く熟れかかっておるというのが現在合楽のことであろうと思わして頂いたが、だから今申しますように、ただ詫びただけ、自分の汚さが分って詫びただけでは、おかげにならん、というてです、私はなかなかその甘えることが上手ですから、ね、神様に甘えておかげを頂くというようなことは、いつまでも続いて良かろうはずがないのでございます、ね。
そこで今日ただ今、日本一というような教会というならば、大阪の泉尾教会でしょう。泉尾教会のいわゆる願って願って、玉水さんのお弟子さんですから、やはり願いの信心に立っておられます。けれども先生の信心の中にはですね、今日私がみなさんに聞いて頂こうというお詫びの信心に徹しておられると。自分というのをもうあらゆる度の、毎月御書物が出ておりますが、自分をもう、自分のような鈍物をと言っておられます。
愚かな自分だということです。汚い自分だということです。それでもお役に立ちたいという一念は、誰にも負けない。そこからね、起こって来ておるのが、先生が仰る所の、おかばいを頂いてということでございます。
神様のおかばいを頂くということ、私はこれが分らして頂いたとたんに、私自身のこととして頂いた。信心もでけんのに神様が顔を立てて下さるということは、信心もでけんのにそれこそ、ね、悪いところはそれは袂に入れて下さって、ね、それこそ、神様が見直し聞き直しして下さって、良いところだけを取り上げて、お役に立ちたいという一念を伸ばしてくださろうとする働き、それはちょうど父親からお叱りを頂くときに、母親が横から出て来て、お父さん、もうこのくらいにしてこらえてやって下さい、というこのおかばいを受けておるということでございます。
私はこのおかばいということの素晴らしい、ははあ、とにかく泉尾の先生が、あれほどお詫びに徹しておられるなら、おかげにならないはずは、あんなおかげになっておるということはね、そのかばわれておる自分ということにお礼を言うておられるところから、おかげになっておるのです。
そりゃもう、お役に立ちたいというのはもう世界中を駆け巡って、難儀な氏子救済に一生懸命なっておられます。先生は、それでも自分というものを見極めた時に自分のようなつまらん自分のような鈍物、自分のような汚い私ということを見極められる。それでもお役に立ちたいという一念、そこから神様のおかばいが始まる。
こりゃ皆さんでもそうでしょう。信心もでけんのに、いうなら親先生のおかばいを頂いてということになるのじゃないでしょうか。
悪いところは親先生が引き取って下さって、そりゃ少しでもよかところがあると、それを認めて下さるということでございます。
ね、昨日の朝の御理解の中に、宮崎の網さんのことを申させて頂きましたが、ね、暑中見舞いが来ておる。それにね、もうほんとに素晴らしい暑中見舞の。
こういうふうに印刷してある。これにね、頂けば頂くほどのおかげの泉、湧きいずる胸にこみ上げ、涙こぼれつ、とここにあの御自分の歌を、ね。
そして暑中お見舞い申し上げます。ところが実はね、これに暑中御見申し上げますとある。舞という字が欠けておる。は、大変なこれはミスだよね。
けどもやっぱし暑中お見舞い申し上げますと読みます。けども実際は、御見申し上げます、舞という字が欠けておる。だからいまたとえば、ああした奇跡の連続的のおかげを頂いておるから、もうそれこそ誰はばかることなく、頂けば頂くほどのおかげの泉、湧きいずる胸にこみ上げ、涙こぼれる、これは網さんの実感であろうと思います。けれどもこれが反対のこと、願っても、願ってもおかげにならんという時もあるでしょうが。右と願ってかえって反対になるようなこともこれからありましょうが。そういう時でもこの、おかげの泉湧きいずる、涙、胸いっぱいの感激が湧いてくるという時になって初めてのことであり、そういうおかげを受けて、そしてお役に立ちたい立ちたいという一念を、網さんが燃やされるとき、いうならば桂先生のお言葉を借りると、この桂松平について踊るものの上にお徳が受けられると、当時仰った。ね、舞ということは踊るということだ。
この舞が欠けておる。ただおかあげを頂いたら感涙に咽んでおるだけのことである。ね、その感涙に咽ぶほどしのおかげを持ってです、神様のお役に立たせて頂きたい、世のお役に立ちたいという一念を燃やされるような、おかげを頂くときに、信心は本当のものになってくる。ね、泉尾の先生はそこんところがです、お役に立ちたい、自分が汚いもの、自分のような鈍物をです、ね、もういくら詫びても、許されようとは思われんけれども、お役には立ちたいという一念です。・・?神様のおかばいが始まる。
そこで詫びるということと同時に、こういう鈍物をもお使い回しを頂いて有難い、神様のいつもながらのおかばいを頂いて、お役に立たせて頂いておることが有り難いということになられた時にです、初めて、私はおかげの受けられるお詫びの世界が開けてくると思うのです、ね。今日聞いて頂きたい、そこですよ。
詫びた、詫びるとだけであったら、自分の汚さが分るですから、その汚さに神様がおかげ下さるはずがない。詫びるだけだったら。
ね、三代金光様のご述懐のお言葉の中にもですね、ね、ただただお礼のたりないお詫びばかりを致しておりますというお詫びなんです。
ね、お礼を申し上げても、申し上げても、申し足りないお詫びです。金光様、だからそういうお詫びでなからにゃいかんということです。ね。
お詫び、そういう意味あいにおいての、私は合楽はお詫びに徹して行きたい、そして私のような鈍物でも、神様がおかばい下さって、お使い下さるおかげを下さる。そのおかげに対していよいよ感激する。ね、そしてそのおかげに対して、ね、お礼を申し上げても、お礼を申し上げてもお礼のたりないお詫びばかりをして行くというような、お詫びに徹して行きたいと思います。
ね、甘木の、お礼の甘木なら、ね、願いのま、玉水、現代でいうたら、願いの泉尾ということになるのじゃないでしょうか。
何でもの願いに立つということを言われます。ね、そこで、合楽はです、現代のなら、あー、教団でです、ね、詫びに徹して人が助かって行く教会としてのおかげを頂くためには、今日皆さんに聞いて頂いたような、お詫びに徹すること、ね、そしてそのお詫びの足りない、お礼の足りないお詫びに徹すること、私のような鈍物でも、神様、私のような汚い人間でも、神様が使うて下さる、そのお役に立ちたいという一念に、神様が悪いところはないもののようにして、かぼうていって下さる、そのおかばいが有り難いというお詫びになってくると。そこから限りないおかげが展開して来ると思うのでございます。どうぞ。